松山市西垣生地区(今出)に西国三十三霊場を模した小さな観音堂が点在しているのをご存じですか。
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キロ四方にも満たない狭い地域に三十三もの祠があり、その一つひとつに船形浮彫の石造り観音様が大切に祀られている。
一説によると、江戸時代の享保17年(1732)に大飢饉があり、垣生村の六百余名が餓死した。
その祖先の霊を慰めるために、生き残った人達が後の世になって、観音様に救いを求めたと考えられる。
みなさんも、いろいろな観音堂をお参りしましょう。
カラフルな色を施した現在風のものなど、置かれている場所やデザインは様々……。